号外

先ほど、前オリックス監督の仰木彬さん(70)が亡くなられた。
ここにご冥福をお祈りする。
この監督は、僕にとって一番好きな監督であった。選手としては西鉄の黄金期を支え、まとめる二塁手であった。監督としての成績は華々しいものがあった。データの使い手としてデータを生かし、緻密な戦略を持ちながらも時として大胆な采配をしたことから、「仰木マジック」と呼ばれた。
小学生の頃、野球を始めたのもこの仰木監督の影響が大いにあった。そもそも野球が好きになったのは、近鉄に所属した野茂英雄が好きだったから。その近鉄の監督が仰木彬さんだった。この存在がなかったら、僕は野球部に所属し、のめり込むこともなかっただろう。この監督を見て、将来野球の監督になりたいと思った事だってある。
監督の功績としては、89年に近鉄バッファローズをリーグ優勝に導く。
95年にオリックスブルーウェーブをリーグ優勝に導き、翌年には念願の日本一に輝く。
オリックスの本拠地は神戸であったが、ちょうどこの頃阪神・淡路大震災に見舞われ、壊滅的な被害を受けたが、その神戸の復興を目指し、「がんばろうKOBE」を合言葉に球団と地域の密着性を大事にした監督でもある。
個性を大事にし、イチロー(スズキ)を見い出したことでも知られている。
彼の巣からは、野茂英雄イチロー田口壮長谷川滋利などを輩出した。オリックスは選手のメジャーリーグへの挑戦には前向きな球団だったことが多少影響しているかもしれないが、選手自体がメジャーリーグに長期間在籍していることからも、実力がある選手を育てることが出来る素晴らしい監督であったことが分かる。
このように選手を育成し、素晴らしい成績を残すことのできる数少ない監督の一人なのだ。

そんな仰木彬さんは今年のペナントレースオリックスの監督として、戦った。前年まで最下位のチームであったオリックスプレーオフ権を獲得できる3位争いを繰り広げられるチームに育てるなど、名将ぶりを発揮した。
オフになって2ヶ月後の死。肺がんでの死。誰か、代理監督を努めることは出来なかったのだろうか。本当に惜しい人を球界はなくしたと思う。
古田プレイングマネージャ、原監督、伊東監督、牛島監督には、ぜひとも育成も出来る素晴らしい監督になってもらいたい。